イギリス清教「必要悪の教会」寮施設のとある一室で『聖人』神裂火織とその同僚ステイル=マグヌスが向かい合わせで座っている。
何をするでもなくだらだらと、時間を浪費する。
普段はイギリス国内の不穏な魔術結社や魔術師などと戦っている二人だが今日は驚くほど何も起こっていなかった、本当に何もないのか?と
訝しむほどに何もなかったので午前中に普段使っている道具の整理やその他もろもろの仕事を終えて待機という名の休憩中である。
神裂は寮の一室に設置したコタツの上にある蜜柑を頬張っている、床には畳もしかれているが寮の部屋は洋室なので違和感を与えている。
しかし神裂の向かい側、真っ赤な髪の2mほどの長身神父がコタツで暖を取っている姿のほうがもっと違和感を発しているのだが
「神裂、そこの蜜柑とってくれないか?」
コタツ似合わない選手権世界大会でも上位を狙えるであろう違和感の権化がコタツの真ん中に置かれてある蜜柑をあごで指しながら言う。
「そんなの自分で取りなさい、あなたの手の届く距離でしょう」
「いやだね、コタツからは極力手を出したくはないんだ。君は今手を出しているからとってくれてもいいと思うんだけど」
「なんでコタツにはいるとあなたはそんなにも堕落してしまうんですか?」
まったくもう、と言いながらも蜜柑を取ってくれる神裂。
その表情は出来の悪い弟に向けるようなものだが今のステイルは丁度そのように形容できるだろう。
神裂火織もステイルもお互い他の者には向けないような顔をしている、二人をそんな顔に出来る人物はもう一人いたのだが、今はもういない。
だから今の二人の表情は二人きりの時にしか出さない、お互い専用の表情だった。
「くっなぜ蜜柑は両手でなくては皮がむけないんだ、片手でむければ片方はコタツに入れ続けられるのに…!!」
「あなたの中の何がそこまでこたつに手を入れ続ける執念を駆り立てるんですか」
「Kotatsu931(コタツが「最強」である理由をここに証明する)」キリッ
「ドヤ顔を決めているところ申し訳ないですがまったく意味が分かりません、おとなしく両手を出して皮をむきなさい」
神裂は手を伸ばして次の蜜柑の皮をむきはじめている、その手元には今迄食べた蜜柑の皮が重ねてあるのだがどれも途切れずにきれいに剥けている。
さすが聖人である……関係ないか。
ステイルはしぶしぶ両手を出して蜜柑の皮をむきはじめた、さすがに神裂のようにきれいには剥けていないが英国人にしてはうまく剥けている。
「ステイルも蜜柑の皮をむくのがだいぶうまくなりましたね」
「君にコタツを教わったときから冬になるとどうしてもコタツとミカンが恋しくなってしまうからね、毎年君とこうしてコタツを囲んで教わりながら
何年も繰り返していればうまくもなるさ」
話している最中に剥き終った蜜柑を一房口に放り込む。
柑橘系の甘酸っぱい風味が口に広がる。
「しかしなぜコタツに入りながら食べるミカンはこんなにもおいしいんだろうね?普通に食べるのとなぜか味が違うように感じるんだが」
「それはコタツの魔力ですよ、ステイル。何人たりともこの魔力には打ち勝てない、最強の魔術かもしれません」
「くっ、僕はもう駄目だ神裂、君だけでも逃げてくれ!」
「あなたを置いていけませんよ!……って何言わせているんですか!!」
普段のステイルなら言わないふざけたような軽口。
普段の神裂ならしないふざけたような返し。
二人は顔を見合わせ小さく笑いあった、兄弟にむけるような、恋人にむけるような、どちらともいえないような、笑い方。
そしてまた、蜜柑の一房を口の中に放り込む。
ステイルが三つ目の蜜柑に手を伸ばそうとしたときだ、ステイルはなにかに気づいたような表情になった。
神裂もステイルの表情の変化に気づき蜜柑を剥く手を止める。
「どうかしたのですか、ステイル?」
「なんということだ…なぜ今まで気づかなかったんだ、こんな簡単なことに…」
「?」
「神裂、僕がミカンを食べる場合皮を剥く必要があるね」
「まぁそうですね、皮ごと食べるわけにも行かないですからね」
「その場合僕は手を出さないといけないよね?」
「蜜柑の皮を剥くのは両手でしなくてはなりませんし当然出さなくてはなりませんね」
「そうだ、片手では到底ミカンの皮を剥くことは出来なかった」
「器用な人であればもしかしたら片手で剥くことが出来るかもしれませんがね」
「だが僕は考えた、こう見えても僕は新しいルーンを6文字生み出したほどのアタマだ、自慢じゃないがいろいろなものが詰まっている。
そして頭の隅から隅まで自己検索して、ありとあらゆる知識を引っ張り出して、引っ張り出して、引っ張り出して、引っ張り出して、引っ張り出した。」
言葉だけが続いた。
「そこで気づいたわけだ」
「何に?」
「両手をコタツに入れたままでミカンの皮を剥く方法に」
「………」
「そう、
神裂、僕の分のミカンの皮を剥いてくれないか」
「なぜあなたはそこまでコタツから手を出したくないのですかぁ!!ステイル=マグヌスー!!」
鋭い突っ込みとともに突き出された蜜柑の皮から液体をステイルの目玉に正確に叩き込んだ神裂。
聖人の身体能力をフルに使って叩き込まれたしぼり汁!ステイルの目玉に甚大なダメージ、効果は抜群だ!
「ガ、ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!」
痛みにのた打ち回るステイル、2mの巨体がどったんばったんと跳ね回る様は、どこぞのモンスター狩人の魚竜種さん顔負けだ。
「まったく何を言い出すかと思えば、またくだらないことを」
「そ、そんなこといいながら神裂だって最後まで聞いていたじゃないか…」
息も絶え絶えといった様子で起き上がるステイル、さすが手練の魔術師である、しぶとい。
目のふちには今だに涙がたまっているが見なかったことにしておいてやろう。
「とまぁそういうわけだから僕の分のミカンの皮を剥いてくれないか?」
「どういうわけですか、まぁ別に蜜柑の皮を剥くくらい…」
そこで神裂は言葉を止めた、ほんの少し思案をめぐらせるような様子で瞳を少し上のほうへ泳がせる。
「蜜柑の皮を剥くくらいやってあげてもいいですが」
少しためを作り、悪戯めいた表情で神裂は
「昔のように『火織ねーさん』と呼んでお願いするのなら蜜柑の皮を剥いてあげましょうか」
と言った。
「なっ!!?」
「昔はステイルも小さくて弟のように私を慕ってくれていたのに筍のようににょきにょき伸びて可愛げがなくなってしまって…」
「勝手に僕の過去を改竄するのはするのはやめてくれ!そこまで僕は君の事を慕っていたか!?」
「ではあなたは私のことを微塵も親しく感じたことはなかったと!?」
「うっ、いやそうではなくて、弟のようにとまではいかなくても慕っていたのは確かだが…」
少々オーバーに落ち込んだふりをする神裂にうろたえるステイル、いつもの毅然とした態度はまったくなりを潜めていた。
「さぁ、そろそろ覚悟を決めたらどうです。蜜柑は結局自分で剥くしかないのですよ、あなたはこたつの中に手を入れ続けることは出来ない!!」
神裂は勝ち誇ったようにステイルを指差してポーズを決めている。効果音はもちろんババーン!
対するステイルは下を向きこたつに手を突っ込んで少し悩むような表情で固まっている。
このままステイルは蜜柑のためにこたつから手を出さなくてはいけないのかと思われたそのとき!!
「覚悟は……決まった…!!」
その言葉が発せられたとき周りの空気がざわめいた、いやあまりの威圧感にざわめいたように感じさせられただけだと神裂は冷静に分析する。
ステイルは覚悟が決まったと言った、それはこたつから手を出す覚悟のことか?
否!!
先ほどの気迫から伺うに『呼ぶ』ことを覚悟したのだ、正直呼ばれるほうも結構恥ずかしいのだが、と神裂は少々頬が赤くなる。
「いくぞ、神裂!Fortis931(我が名が『最強』である理由をここに証明する)!!」
「き、来なさい、ステイル!」
「カオリネーサンジュウハッサイ様ミカンの皮を剥いてくださいぃ!!!」
「Salvare000(救われぬ者に救いの手を)!!」
神裂の全力の蜜柑の皮のしぼり汁が今度はステイルの両目に突き刺さる。
「アヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァ!!!!!!!」
先ほどの二倍の痛みに先ほどの二倍はのた打ち回っている、築地市場に出せばいい値段で買い取ってくれそうな活きの良さだ!!
魚類のようにのた打ち回っているステイルを尻目に神裂は蜜柑の皮を剥き始めていた。
こたつの上には皮を剥き終わっている蜜柑が一つ転がっているのに、だ。
「まったく、さっきの僕たちはどうかしていたな、ちょっと興奮しすぎていた」
「そうですね、私も少しはしゃぎすぎていました。……蜜柑剥けましたよ」
「あぁ、ありがとう」
冷静さを取り戻し蜜柑を分け合う二人、窓が風で揺れる音が耳に届くほどには静かになっている部屋の中。
「ずいぶん寒くなりましたね、風が痛いほどに」
「そうだね……」
ポツリポツリと言葉を交わす。
「寒くなると鍋が食べたくなりますね」
「僕は日本人じゃないから同意しかねるね」
「昔も皆でお鍋をやったじゃないですか」
「そう、だったかな?」
「ええ」
神裂の言葉が詰まるようにして止まる。
口を動かそうか、そのまま閉ざそうか迷っているようだった。
「あの子と一緒に、一度だけですけど」
ステイルがあの子との思い出を何一つ忘れていないのを分かった上での言葉だった。
「そうだったね」
その言葉はステイルの顔にほんの少しだけ、ほんの、少しだけ
苦しいような、悲しいような、マイナスの感情を映し出し、消えた。
おそらく、おそらくと神裂は思った。
自分も同じような表情をしたのだろう。
「あの時はおいしい鮭が手に入ったからお鍋をしたんですよね、たしか」
けれども何事もなかったのように会話を続ける。
「またおいしいお魚が手に入りそうなのですが」
「そうしたらまた鍋でも囲むかい?二人で寂しく」
蜜柑を剥く手は止まっている。
いつの間にか窓の揺れる音も消え、静寂が次の言葉を待っているようだ。
「そうですね、鍋を囲みましょう。
仲間と、皆と一緒に」
神裂の話す声だけが部屋に響く。
「もうあの子はいません、けれどあの時にはいなかった人たちが、今はいます。失ったものを数えるのではなく、得たものを数えましょう」
詩を読むように、歌を歌うように言葉を紡ぐ。
「そしてあの子とすごした思い出に、みんなとの思い出を足していきましょう」
言い切った神裂は何も言わず、蜜柑にも手をつけずにステイルをまっすぐ見つめている。
まるで次はそちらの番ですよ、とステイルの言葉を待っているように。
しばらくステイルは黙ったままだった、先ほどの神裂の言葉にどういう風に返せばいいのかと悩んでいるようだ。
いつものステイルなら誤魔化すかどうにかして答えを出さないだろう、けれど何度も言うようにこの二人だからこそ、問うたのが神裂であるから、
ステイルはきちんと答えようと思ったのかもしれない。
また風が吹いてきたのか窓がガタガタと音を立てる、ステイルの答えをせかすように。
神裂が蜜柑を一房ちぎった時だったか、ひときわ大きな風が吹いて窓が大きく音を立てた時かに、ステイルが口を開いた。
「僕はあまり騒がしいのは好きじゃあない」
そっけない一言だった、ステイルは窓の外のほうに視線をやってそれきり神裂のほうをむこうとはしない。
「そうですか…では」
お鍋の話は無しですね、と神裂が言おうとしたときステイルが視線はそのままにしながら
「だからこのコタツで囲めるくらいの人数でなら、しても構わないよ」
ボソリと、こんな台詞は自分のキャラじゃないと分かっているのか少し顔を赤くして言った。
「そうですか…では」
と神裂は微笑みながら、先ほど途切れた言葉を再度紡ぐ。
「お鍋の準備をしないといけませんね」
具材もそうですけど面子も集めないといけませんね、と神裂はやる気満々だ。
ステイルは嬉しそうに話を進める神裂を横目に見ながらミカンに手を伸ばした。
そんな彼自身の顔もまんざらでもないような表情をしているのに彼自身は気づいていない。
了
おまけ
「お~い、インデックス。神裂達から蜜柑届いたぞ、蜜柑」
とある寮の一室で部屋の主である少年『上条当麻』は布団の上で飼い猫と遊んでいる居候シスターの『禁書目録』に声をかけた。
「蜜柑!?蜜柑ってあの蜜柑なのかな、あの食べられるほうの蜜柑!?」
「食べられないほうの蜜柑ってあるのかよ、そもそもインデックスさんに食べられないものがあるのかが上条さんは疑問ですよ」
最後のほうはほとんど独り言のように小さく呟いたのだがなにぶん狭い部屋なのでインデックスにも聞こえていたようだ。
「とうま~食べられるのなら足からがいいかな?それとも頭からのほうがいい?」
「すいませんでしたぁ!この蜜柑を差し上げるのでどうか噛み付かないで!歯を打ち鳴らさないで!」
「もう、最初っからそうしたらよかったかも」
インデックスはダンボールいっぱいの蜜柑の中からもてるだけ持つとリビングのほうへ持っていった。
「さてと、残りの蜜柑は冷蔵庫にでも入れておけばいいかな」
ダンボールのまま冷蔵庫のところまで運んだ時に気づいた
(インデックスって蜜柑の皮剥けたっけ?)
絶対記憶能力は技術とは無関係だったんじゃなかったけ?と上条は考えをめぐらす。
インデックスがたとえ料理の本を読んだとしても料理が完璧に出来るようになるわけでもないだろう、それと蜜柑も同じじゃないだろうかと。
ダンボールの蜜柑はそのままにしてリビングに行くことにした、せっかく持っていったのにお預けくらっていたら可哀想だ。
上条はなんだかんだで居候シスターには甘いのだ。
「インデックス~蜜柑の皮ちゃんと剥けてるか~?」
「うん!バッチリ剥けてるかも!」
リビングのほうに行くと確かにインデックスの言うとおり机の上にはきれいに剥かれた皮がつみあがっていた。
上条は少し驚いていた、短時間にこれほど蜜柑を食べていたからではもちろんない、インデックスならコレくらい当たり前だ。
皮の剥き方がとてもきれいだったのだ、上条よりもうまいかもしれない。
「なぁインデックス、おまえ蜜柑の剥き方誰かに教わったのか?すげ~きれいに剥けてるじゃん」
「え?」
インデックスが一瞬ハトが豆鉄砲を食らったようにキョトンとした表情になる。
「そういえば私誰からも教わった覚えがないかも」
「でもちゃんと剥けてるじゃん、インデックスに限って忘れるってこともないだろうし」
上条は言いながらもどういうことかはだいたい把握できた、インデックスが記憶を失う前に誰かが教えていたんだろう。
エピソード記憶は忘れていたとしても手続き記憶は忘れない、だから蜜柑の皮の剥き方も覚えていたのだろう。
「でもなんでだろう、誰からも教わってないのに」
インデックスが少し遠い目をしながら剥きかけの蜜柑を転がしている、大切なものを手の中で確認するように。
「とっても大切な人たちに教わった気がするかも……」
言葉としては矛盾しているけれど、とても大切に大切に紡いだその音はインデックスの抱いている思いを上条にまっすぐ伝わった。
記憶は消えていても、心に残っていた大切な人たちの記憶。
そこまでインデックスの心に残っている人たちに上条は、
「なんか嫉妬しちまうな…」
ボソリと呟いた。
だがこの部屋は狭い、それに今インデックスと上条の距離は1mも離れていないのだ。
もちろんインデックスにも伝わった、上条の抱いている思いも含め。
「とうま、大丈夫かも」
インデックスは短く
「とうまはインデックスの一番大切な人なんだから」
適切にまっすぐ思いを伝えた。
鈍感な上条さんもさすがに顔を赤くしている、呟いた恥ずかしい独り言を聞かれたこととインデックスの返事の内容に驚いている。
インデックスは上条の顔を見つめている、少し潤んだ瞳で、頬をほんのり上気させ、じっと見つめている。
上条は驚きで見開かれた瞳でインデックスを見つめ返していたが、インデックスが何かを待っている事に気づき表情を改める。
顔は赤いままだが真剣な表情でインデックスを見つめている。
唇がほんの少しだけ動き少女の名を呼ぶ。
二人の顔が距離を縮めていく。
もうあと少しで距離が0になってしまう寸前で上条は呟く。
「 」
たった三文字で二人の心の距離も物理的な距離も0になった。
柑橘系の甘酸っぱい風味がした。
了