休日の学園都市のとあるボロアパート。
時刻は午前10時を過ぎ、温かい太陽の光がアパートを照らしている。
そのアパートの一室。
部屋の隅では高校生ぐらいの赤毛の女の子、結標淡希が布団の中ですやすやと眠っている。
その横ではどう見ても小学生の合法ロリ教師、月詠小萌がノートパソコンを操作している。
部屋にはパソコンのキーボードを叩く音だけが響いていた。
「……ん~」
小さな声を漏らした後、結標はのろのろと布団から抜け出した。
「おはよう、いやおそようなのですー結標ちゃん。休日だからといって寝すぎるのは体によくないですよー」
「仕方ないじゃない、昨日は帰りが遅かったんだから」
「む~、もう少し早く帰れないものですかねー」
「私もそうしたかったわ。でも仕事が予定以上に時間を食ったのよ」
結標はけだるそうに立ち上がり、顔を洗いに行った。
いつも通りの彼女の言葉に、小萌は小さくため息をつきつつ作業を再開した。
「あら?」
顔を洗い終えた結標は足元に目を向けた。そこには段ボールに入った大量の折り鶴があった。
「これは……千羽鶴ってやつかしら?」
「はい、その通りです」
「小萌が作ったの?」
「ボランティアで病院で生活している子供たちのお世話をしているのですが、その中の一人が今度手術を受けるのです。何かの助けになればと思って」
「へぇー」
結標は箱の中から折り鶴を一つ手に取った。少し形が崩れているが、見ていると不思議と心が落ち着くような気がする。
「結標ちゃんもやってみますか?」
「私が?」
「実は生徒の補習問題を作るのが忙しくて……。なかなか進んでいないのですよー」
「ああ、だから朝からパソコンをいじってるわけか」
小萌が担任を務めるクラスには、問題児と呼ばれるような生徒が何人もいる。そのため、授業を休んだり、テストの成績が芳しくなかったりすると救援策として補習を行っている。
生徒にとってはうっとおしいことかもしれないが、これもかわいい生徒を留年させないための措置だ。彼女にとって生徒のために休日の時間を削ることなど苦ではない。まさに子供が第一という信念を持つ、教師の鑑なのである。
(まあ、そんな人だからこそ私が居候できるんだけど)
自分の事情を聞くこともなく、寝床を提供してくれる小萌に結標は感謝していた。
暗部に堕ち、汚れた自分でも、恩返しをしなければならないとは常々思っている。
(いい機会かもね)
「いいわよ。やってあげる」
「本当ですか!?ありがとうなのですー!」
結標の言葉に小萌は目をキラキラさせて喜んだ。
「考えてみたら、折り鶴なんて初めて作るわね」
「うまく作ろうとしなくてもいいですよー。こういうのは心をこめることが大事なのです」
折り紙を脇に置き、結標は小さな本を広げた。
「やさしいおりがみ」というタイトルの本には、折り鶴だけでなく、さまざまな作品の作り方が載っている。
「とは言っても折り鶴は難しい方ですからね。ウォーミングアップに簡単なものを作ってみますかー?」
「ふっ、甘いわね小萌。私がどういう能力を持っているか忘れたの?」
挑戦的な台詞と共に結標は本を閉じ、折り紙を折り始めた。
「へ?どういうことですか?」
そう、忘れてはいけない。結標は大能力者の『座標移動』である。
空間移動系の中で最高の能力を持つ彼女は、当然空間把握能力も人並み外れて高い。
つまり。
「できたわ」
「えぇぇぇえ!!早すぎますよ!!!」
30秒もかけずに完璧な折り鶴を作ることなど造作もないのである。
「結標ちゃんの新たな才能が発覚したのです……」
「大げさよ、小萌」
ぽかんとする小萌に結標は微笑んだ。
「ほら、やることがあるんでしょ?」
「はっ、そうでした!先生も頑張らないと!!」
小萌は急いで補習問題作りを再開した。
「ふー、一区切りついたのです」
「お疲れ様」
2時間後、小萌は補習問題の作業を終えた。
結標の周りは、机に乗りきらない折り鶴でいっぱいだ。
「そういえば、この千羽鶴を届ける子ってどんな子なの?」
「ああ、ちょっと待ってくださいね。パソコンにデジカメのデータがあるのです」
小萌はパソコンを操作し、画像データを開いた。結標も小萌のそばに移動する。
パソコンには車いすに乗った小学生ぐらいの少年が映っていた。
青空を背景に、弾けんばかりの笑顔を向けている。
「この子は一年前から入院生活だったのですが、やっと治療の目途がたったのです」
「かわいい子じゃない」
「ええ、いつもこっちが元気をもらうぐらいなのです」
少年が受ける手術は世界初の事例だそうだ。手術日が近づくにつれて、不安を隠せずにいる彼に対して何かできないだろうかと考えた結果、千羽鶴を作ることになったという。
「ふふ、渡す相手を見たらやる気がわいてきたわね」
結標は元の場所に座り、再び折り鶴を作り始めた。
「結標ちゃんは子供が好きなのですねー」
「もちろんよ。あんなに無邪気でかわいい存在を嫌う方がどうかしてるわ」
自分、あるいは大人のように汚れた存在にとって、子供は一種の救いである。それを守り、愛でるのは当然のことだと結標は考えている。
それを。
「それにしても、随分できましたね。きっとこの子も喜ぶのです」
あの。
「……結標ちゃん?聞いているのですかー?」
馬・鹿・ど・も・は!
「む、結標ちゃぁぁぁぁぁあん!!!」
「……はっ!?」
結標は我に返った。手元を見ると、できたばかりの折り鶴がぐしゃぐしゃになっている。
「どうしたのですか結標ちゃん!?今物凄い顔していましたよ!?」
「ああ、ごめん。ちょっと不快なことを思い出しちゃって」
「不快?何なのですか?先生が聞いてあげるのです!」
「い、いいわよ。くだらないことだから」
「むぅ……」
小萌は納得いかないといった顔で結標を見た。
しかし、結標もこれを話すわけにはいかない。
「仕事仲間のロリコンどもにショタコン扱いされた」などと言えば、小萌は卒倒するだろう。
昼ごはんを食べた後は小萌も作業に加わり、折り鶴作りは順調に進んだ。1000羽には届いていないが、かなりの折り鶴ができあがった。
「たくさんできましたね。そろそろ紐でつないでいきましょう」
小萌は長い糸の束を段ボールから取り出した。
「どれぐらいつなげばいいの?」
「50羽を1本の糸に通すのが一般的ですね」
「1000羽だから、それを20セット作るわけね」
「はい、しかしこれもなかなか根気がいる作業なのですよー。やり方が悪ければ折り鶴が落ちてしまいますからね」
小萌は折り鶴を一つ一つ糸に通し始めた。
「小萌。糸を1本貸してくれない?」
「へ?いいですよ?結標ちゃんは折り鶴作りを続けてください」
「ちょっと試したいことがあるの」
「はあ……」
小萌は糸を1本結標に手渡した。
結標はそれを両手でまっすぐ伸ばす。
「いくわよ」
次の瞬間。
音もなく、折り鶴が一つずつ結標の持つ糸に刺さっていった。ずれることなく均等に折り鶴が刺さっていく光景はある意味芸術的だ。
「そ、そんな能力の使い方もあるんですね」
手を触れることなく、大量の物質を転送する『座標移動』の汎用性をこのような形で目の当たりにするとは思わなかっただろう。小萌は目の前の光景をぽかんと見つめていた。
「はい、完了」
あっという間に50羽を通し終えた結標はそれを小萌に手渡した。
「……今日は結標ちゃんに驚かせられてばかりなのです」
綺麗に通された折り鶴を小萌はしげしげと見た。
「他の分もやるわ、糸をちょうだい」
この方法ならば、小萌を煩わせることなく千羽鶴を作ることができるだろう。
しかし。
「結標ちゃん。やっぱり能力を使わずにやってみませんか?」
小萌から帰ってきた答えは意外なものだった。
「……どうして?」
「結標ちゃんの能力を否定しているわけではないのです。でも、先生は能力を使わずに、一つずつ折り鶴を通していくのがいいように思うのです。その方が心がこもるというか……」
「…………」
そうかもしれない。『座標移動』を使えば効率的に作業は進むが、どこか味気なく感じてしまうのも事実だろう。
能力を使わないことで得られる喜びというのもあるはずだ。
「あの、怒っちゃいましたか?」
黙り込む結標を小萌は不安げに見る。
「そんな訳ないでしょ。小萌の言うことは間違ってなんかないわ。だからそんな顔しないで」
小萌の言葉を残骸事件の前ならどう感じていたのだろう。能力者にならずに済む幻想に憧れていたあの頃ならば。
当時、結標は自身の力を恐れていた。
自分の力は周りの人を傷つける。力なんてなければよかった。そんな思いにとらわれていた。
だがそれは風紀委員の少女によって打ち砕かれた。お前は自分の責任を力に押し付けているだけにすぎない、と。
その後、今の仕事仲間に顔面を殴りつけられ、さらに能力が不安定化したりと散々な目にあった。
(人なんて、ちょっとしたことで変わるのよね)
今では自分の能力を受け入れており、否定する言葉にも立ち向かえる。それは自分が成長した証だ。しかし、それを促す一助となったのは身寄りのない自分を受け入れ、世話をしてくれた小萌かもしれない。
自分を大能力者ではなく、一人の少女として受け入れてくれる。それは、結標にとってどれだけありがたかったことか。
「ありがとう、小萌」
「へ?何ですか?」
「……何でもない」
突然の感謝の言葉に戸惑う小萌に微笑みかけ、結標は折り鶴に手を伸ばした。
了