ここはとある教会。
今日もたくさんのキリスト教徒が礼拝に参加している……わけではない。
その教会は何故かまったく人気がなく、教会自体が神に祈りを捧げているようにただ粛々としていた。
そんな教会にただひとつの人影が見える。
修道女(シスター)である。修道女がたった一人。
両手を組み、膝を折り、蹲るようなその姿勢から微動だにもしない。
「お、おじゃましまーす」
不意に──そんな空間に、異物がやって来た。
「友達の家に遊びに来た子供ですか、あなたは! あの、今、こちらに入ってしまっても大丈夫ですか?」
綺麗な黒髪の青年と、長い髪の女性だった。
隣にいる青年を窘めるように女性は続ける。
「はい、何か御用ですか」
修道女は、自身の祈りをすかさず中断させ、にこりと応えた。
「──綺麗だ」
「っ!!」
女性は思い切り青年の足を踏みつけた。
「ってぇ! なにすんだ!」
「アホ面晒してるからです!」
「なんだと!」
「なんですか!」
くすくす、と修道女から笑い声が漏れた。
「あ……」
「す、すいません。このアホ男、いつも誰にでもデレデレしやがるもんで」
「笑い顔もすっげぇ可愛い……」
「死ね」
ドッゴォ! と、衝撃音と共に青年は吹き飛んだ、ように見えた。
「ふふ……お仲がよろしいんですね」
あくまで笑顔は崩さずに修道女は続ける。何か懐かしいものを見るように。
「あ、教会に傷を……。も、申し訳ありません!」
「俺には何も謝罪なしかよ……」
「当たり前です」
「くっそぉー、相変わらずひでぇ女だ」
「ふふん、一生後悔するんですね」
ああ、この二人には固い絆があるんだ。
そんな二人を修道女は微笑んで見つめていた。
その視線には恋人同士への憧憬と羨望と、──ズキリ──いけない。
今、私はとして考えてはいけない事を考えてしまいました。
お許しください、主よ。
ごめんね、『 』。
「あれ? おい、なんかシスターさんが俯いてるぞ?」
「え? あ、シスターさん! 本当に申し訳ありません! 謝罪と賠償は全てこのアホ男が……」
「おぃィ! いやまぁ、お前のせいだし俺が弁償するのも仕方が……」
「いいえ、失礼しました。少し昔の事を思い出してしまっていたのです」
「シスターさんでもそういう事、あるんですね」
「当たり前です! シスターさんだって女の子なんですから!」
「いいえ、こんなことを考えてしまう私はシスター失格なのかもしれませんね」
修道女は、一瞬だけ憂いを帯びた顔を見せた、気がした。
「それでは改めまして、私が当教会のシスターです。何か御用でしょうか」
それは──ただ主に敬虔な修道女の顔だった。
「結婚式──ですか?」
ここ、学園都市は言わずと知れた学園の街である。学生の内に結婚するなんて輩は滅多にいない。
──しなければならなくなってしまった、そんな人々も皆無ではないのだが。
「はい」
青年は先程は違い、真面目くさった顔で応える。
「俺と──」
女性に顔を向ける。
女性も青年に視線を注ぐ。
二人はしばし見つめ合った。
どれくらいの時間が経っただろう。
ふいに女性が観念したように頷いた。
「──こいつの、二人の、いや、二人だけの結婚式です」
二人だけ?
修道女は首を傾げた。
結婚式と言えば、大勢の友達や、家族や、親戚や、──母親や、父親、きょうだい──そんな人々に囲まれて行うものだ。
大っぴらにしたくないという人々もいることはいるが、それでも二人だけというのは稀だろう。
修道女は自分の知識と照らし合わせてそう考えた。
いや、それ以前に──
「そもそも、ここの教会ではふだん結婚式という行事を行っていないのです」
「え゛」
青年の顔が引き攣った。
今までの真面目ぶった顔が崩れた事もあり、なるほどこれは『アホ面』だ。
修道女がそう思ったかは定かではない。
「なにアホ面ぶら下げてるんですか。ほら、行きますよ。ご迷惑をおかけしました、シスターさん」
「ちょ、ちょっと待てよ! おい、そんなに引っ張るな! あの、シスターさん、どういうことなんですか? 結婚式って言えば、チャペルで~みたいな勝手なイメージあるんスけど……」
「そのチャペルウェディングというイメージは決して誤りではないのですが。ウェディングドレスを着て、新婦に祝福を受け、ブーケを投げる。それは正式なイギリス清教の結婚式ではないのですよ」
「日本では、いわゆる「キリスト教式結婚式」という、ホテルや式場でそれなりの、華やかで、綺羅びやかで、おしゃれな結婚式を行うんです。本当の清教の結婚式というものは、静かで、もっと大人しいものなんです」
「はぁ……」
「その清教式の結婚式というものは、それなりの準備がいるのです。私のような修道女だけで結婚式など……」
「それでもっ」
「ほら、できないんですよ。とっとと諦めて……」
女性は青年の服を引っ張る。早くこの場から離れたいかとでも言うように。
「諦められるか!」
青年は叫んだ。
「っ!」
「お前はそれでいいのか!」
青年は叫び続ける。
「……って」
「意思じゃないのか!」
青年は叫び続ける。女性に向かって。
「契約じゃなかったのか!」
青年は叫び続ける。何かを吐き出すように。
「誓いじゃなかったのか!」
青年は叫び続ける。苦しさから逃れるように。
「けじめじゃなかったのか!」
青年は叫び続ける。誰かに向かって。
「…………だって」
「俺はっ!」
「こわくなっちゃいました」
その女性は。
「ぐっ!!」
「怖いんですよ。私はあなたのものになりました。それでも」
「それでもっ! こわいんですよ!」
「あれから何年か経ちました」
「あなたと何年も過ごしました」
「色々なことがありました」
「私は大人になって、あなたも大人になりました」
「それでも──」
「超、こわいんです」
その女性は、とても幼く見えた。
122 : 浜絹モノ(終前)[sage] - 2010/06/12 00:17:37.65 2fSntoEo 6/6